ユーモアコミュニケーションで私が目指しているもの
それは、「温かい家族」です。
正確に言うと「温かい家族のような関係」です。
・ありのままの自分でいられる
・思ったことを言い合える
・一緒にいるだけで温かい気持ちになれる
・その人の幸せを心から喜べる
そんな家族がいれば、人は困難にあった時でも
それを乗り越えられると思うのです。
温かい家族に私はずっと憧れていました。
貧しくたっていい、家なんか小さくてもいい、
笑いにあふれる明るい家だったらどんなに良かっただろう、と何度も思いました。
私が今、ユーモアを広めたいのは、笑いのある温かい雰囲気に飢えていたからかもしれません。
私は子供の頃の話をするのが好きではありません。
嫌な思い出が多すぎるからです。
子供の頃の私は母親から何もかも否定されていました。
「美人じゃないんだから勉強ができるようになりなさい」
「おとなしいのは馬鹿と同じよ」
「歌はうまくないわね」
「一度も学級新聞に作文が載ったことないわね」
褒められた記憶がひとつもありません。
母は父方の祖母や叔母(父の姉)との仲がよくありませんでした。
俗にいう姑嫁問題です。
私は6人いる孫の中でたった一人の女の子だったので、
祖母や叔母に特別扱いされていました。
服を買ってもらったり、泊まりに行ったり。
それが母には我慢がならなかったのだと思います。
姑に面と向かって言うことができない不満は、私にぶつけられました。
理由もなく叩かれたこともありました。
両親の仲も悪かったので、高校生の頃はしょっちゅう父の悪口を聞かされていました。
「別れたかったけれど、お腹にはもうあなたがいたからね」
と言われたときは、
「産まれて来てはいけなかったんだ」
とずいぶん苦しみました。
毎日のように泣いて泣いて、
そして決めたことが2つあります。
ひとつは、どんなに苦しくても20歳までは生きること。
もう一つは、もし自分が親になることがあったら、
決して子供には、同じような思いはさせまい。
自分は産まれないほうが良かったなんて絶対に思わせないということ。
大人になってから、一度母にその話をしたことがあります。
母の返事は
「そんなこと言ってないわよ~」まるで覚えていないようでした。
子供は親の何気ない言葉に傷つきます。
当時の私は真面目だったので、
言われてことすべてを受け止めて苦しんでいました。
もし当時の私にユーモアセンスがあったら、
「あ~あ、また母ちゃんのぐちが始まった~」と
受け流すか、
「よかったじゃない、こんなかわいい子が産まれて」
なんて冗談も言えたかもしれませんが、
真面目人間の私にはできませんでした。
アメリカの大学に留学したのは、
英語を学んで通訳になりたかったからですが
(それも事実ではありますが)
あの家から出たかったのかもしれない、と思うことがあります。
ほとんど英語も話せず、知人もいないアメリカに住み始めて
2週間ほど経ったころのことです。
ある日、寮の近くを歩いていると遠くに美しい夕日が見えました。
するとなぜか涙がぽろぽろと流れてきました。
「なぜ私は、泣いているんだろう?」
それは日本を離れた寂しさでも、
これから始まるアメリカ生活の不安でもなかったのです。
それは、心の底から湧き上がる開放感だったのです。
「私は自由なんだ!」
人生はじめての嬉し涙でした。
大学での勉強は大変でした。
人生でこんなに勉強したことはないというくらい勉強しました。
アメリカ人の3倍の時間を費やさなければ教科書が読めないのです。
それでも、私は人間関係の悩みがないことはなんてラクなんだろう、と思いました。
足につけていた重しが取れたおかげで、長い距離でも走れたのです。
60代のアメリカ人夫婦ルースとジョンとの出会いも
私の人生を変えました。
子供がいなかった2人は、
私を娘のようにかわいがってくれました。
ありのままの私を認めてくれる。
英語が話せなくても、会うたびにぎゅうっと抱きしめてくれる。
「よく勉強してえらいわね」と結果ではなく、努力を褒めてくれる。
2人は私からみたら理想的な夫婦でした。
大学が休みの時に何度も家に泊まらせてもらいましたが、
2人が口論するところを一度も見たことがありませんでした。
どちらかが声を荒げることもなければ、
皮肉交じりの言葉を浴びせることもない。
茶碗が割れることもない。(笑)
なんて穏やかなんだろう。
一度ルースに訊いたことがあります。
「喧嘩しないんですか? ジョンに頭にくることってないんですか?」
するとルースが笑って言いました。
「頭に来たときは、別の部屋に移動するのよ。
そうすれば心が落ち着くから」
お二人はとてもユーモアのある人たちでした。
よくゲストを夕食に招いていましたが、
いつも笑いながら食事をしていました。
料理はシンプルだったのに、会話がとても楽しいのです。
幸せって、こんなふうに体が中からポカポカすることかもしれない。
『コミュニケーションのレッスン』鴻上尚史著によると、
人は自分の親のコミュニケーションのやり方を受け継いでいるといいます。
母は幼い頃養女に出されて、養母はとても厳しかったので、
褒められたり、優しくされたりしたことはなく、むしろよく叩かれていたと言っていました。
愛情表現をされたことがなかった母が、
自分の子どもたちに愛情を表現できなかったのも
仕方ないことだったのかもしれません。
8年半のアメリカ生活を経て、私は、コミュニケーションに興味を持つようになりました。
スピーチ、ディベート、ダンス、朗読、即興劇、傾聴、ボイストレーニングなど
様々なトレーニングをしたことで、
あんなに恥ずかしがり屋で人見知りだった私が、
どんな人とも会話が続くようになりました。
今は両親とも(父は3年前に亡くなりましたが)弟たちとも普通に話すことができています。
そしていつも会話の中に笑いがあります。
私は「蝶よ花よ」と育てられなくて、良かったと思っています。
もしそうであったら、ユーモアを伝えたいと思わなかったでしょうし、
きっと、鼻持ちならないイヤな人間になっていたに違いありません(笑)
私が40歳も年上のアメリカ人の夫婦と家族になれたように、
年齢の違う、育った環境も違う、
考え方も違う人たちと繋がることで、
人生はもっと豊かになると信じています。
物事を深刻にとらえすぎない、遊びこころのあるコミュニケーションで
夫婦関係、親子関係もより良くなります。
「笑いほど人と人との距離を縮めるものはない」
byヴィクター・ボーグ
温かい家族が増えることを心から願っています。
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