コップに水が半分入っている。

「半分しか入っていない」と思うか「半分も入っている」と思うか、人によって見方が違う。「半分も入っている」と考える方がプラス思考でいいと言われるが、果たして本当にそうなのだろうか。

私は「半分も」教の信者で、これまでに何度もひどい目に遭ってきた。

たとえば、約束の時間にいつもぎりぎりにしか間に合わない。

「まだ1時間ある。まだ30分ある。」とどうしても思ってしまうのである。

焦るのは、残り時間3分になってからだ。 バス停まで、優雅に歩いた試しがない。

いつも短距離マラソンか、100メートルダッシュだ。

 

こんな自分に嫌気がさした私は、いいことを思いついた。家中の時計を10分進めておくのだ。これは、なかなかいい方法だった。 その時間に合わせて用意するから余裕ができる。しめしめと思ったのもつかの間、人類のあくなき科学の追求と夫の陰謀により、私の計画は、妨げられた。電波時計による侵略である。正確なだけが取り柄の性格の時計だ。一日に一回、勝手に針がぐるぐる動いて微調整し、毎日正しい時間を指すというわけだ。私はいつも100点ばかり取る、がり勉野郎を見るような目つきで睨んでやった。しかし、時計は、びくともせず、時を刻んでいった。

 

ユーモアは、一つの状況をいろいろな角度から見る目を与えてくれる。「コップ半分の水」だったらあと半分も水を足せるとも言えるし、小さいコップに入れたら満杯になるとも言える。一つの事実をどう捉えるかで、それに対する気持ちも行動も違ってくる。 もしたくさんの見方ができれば、ひとつの考えに捉われてがんじがらめになることなく、自分にとって一番幸せな見方を選ぶことができるのではないか。

チャーリー・チャップリンがこう言っている。

“ Life is a tragedy when seen in close-up but a comedy in longshot. ”

(人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇)